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私の住む内陸はガソリン給油行列もほぼ無くなり身動きが取れるようになったので先週末「あっきぃのおとやんさん」に会いに気仙沼に行ってきました。

頼まれていた物と少しばかりの食料を車に積み、奥州市~一関大東~経由で気仙沼入り。
地割れや地すべりなどで斜線規制もありましたが渋滞は無かったです。
すれ違う車の中には自衛隊、品川ナンバーの警察車輌、他県ナンバーの一般車輌が多数でやはり普段とは違います。


圏外の地域を抜け携帯が繋がるところでおとやんさんに℡。
特に迷う事も無く久しぶりの再開。
娘さんたちも元気で胸をなでおろす(本当に良かった)


荷物を渡し、今まで釣りで何度も訪れた気仙沼市内へ行く事にしました。
鹿折川沿いを下っていくとまだ45号に入る前から瓦礫が目に飛び込んできます。
何処から流れ着いたのか小さな漁船や車もあります。
45号を横切りシーバスで有名なコの字堤防を目指し車を走らせると、ここからは想像を絶する瓦礫の山。
そしてありえないところに遠洋漁業船らしき大型船が打ち上げられています。
あったはずのコンビニやドラッグストアも形跡がある程度で津波で流れ着いたであろう瓦礫に埋もれた状態。
正直テレビで繰り返し被災現場は流れているのでそれほど驚かないかと思っていましたが、実際見てみるともっと酷い状況で言葉も出ません。
瓦礫は本当に山と言っていいほどの高さがあり想像を絶します。

ある程度進むと地震で地盤沈下した影響のため海水が道路にあふれていて瓦礫撤去作業もストップしているようでコの字堤防にはたどり着けませんでした。
もう少し先には「気仙沼ホルモン」でお世話になった、からくわ精肉店さんもあったのですが…ご無事であることを祈るばかりです。

ここで少し写真を撮ろうと思いましたが自衛隊の方々が作業していましたし駐車すると妨げになりそうだったのでUターンし今度は対岸側に行く事にしました。
こちら側もメバルなどで何度も訪れています。
梶が浦まで走りましたがこちらはまるで空爆にでもあったかのように焼け焦げた船や斜面が目に飛び込んできて絶句してしまいます。
商港岸壁にあったであろうオイルタンクも流れ着いていてこれらに火が付いて火災が発生したのだそうです。

そのまま進むとありえない高さまでビニール袋が散乱していて津波の状況がわかります。
この辺の道路際は防潮堤があったはずなのですが根こそぎ持っていかれています。
場所によっては子供たちが書いたであろう絵で埋め尽くされていた防潮堤もあったのですが跡形もありません。

少し高台の家は無事なところもありましたが壊滅的な状況でした。
帰りに邪魔にならないところに車を止め撮影した画像。

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逆光でわかりづらいですがこの3艘は火災で丸焦げ状態でした。

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これは造船所付近から鹿折川方向の画像です。
ここはもっと建物があった場所ですが…言葉も出ません。


この後、おとやんさんを家まで送り帰りは陸前高田~住田のルートで帰ることにします。
気仙川に掛かる橋は津波で流されているので竹駒地区の方から入る事にします。

車で走るとこちらも物凄い瓦礫が目に飛び込んできます。
ローソンがあった辺りまでは津波が来たと聞いていましたがそれどころではなくかなり上流の方まであったはずの建物が全くありません。

竹駒地区を抜け小高い山から普段は高田市内が見えてくるはずのところまで来ますが…こちらは気仙沼とは違い既に瓦礫はなく何もない更地。
こちらもテレビで何度も見ていますが本当に数個の鉄筋製建物が残っているだけで町が完全になくなっています。
本当に何もありません。

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これは高田方面で釣りをするときにお世話になっていた「さくら家」さんと言うラーメン店付近から市内方向を撮影した画像です。
大型スーパーやホームセンターもあった場所ですが跡形もありませんでした。
「さくら家」さんは何度もお世話になっていて店員さんとも少し会話したりしてたので本当に残念です。
皆さん無事で居られればいいのですが。


この辺も気仙沼と同じで地盤沈下していて

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野球場が水没していて45号脇が直ぐ海水です。
当然高田松原海岸も水没しています。

近くに5階建ての住宅が見えますが4階まで津波の跡が確認できます。


最後に駐車スペースを見つけ安全なルートで気仙川付近に行ってみました。

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シーバスのポイントとして有名な気仙大橋。情報通り橋は無くケタのみが残っていました。
上流の姉歯橋もありません。中間にあったはずの中洲も見えませんでした。


戻る途中橋のたもとで見つけた書き込み

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本当に心から復興して欲しいと思いました。


最後にテレビでも話題の1本だけ残った松

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復興のシンボルにしようという話も出てるそうです。
良くぞ残ってくれたと思いました。




現場を実際にみて思いましたがテレビで見るより実際は数倍酷い状況です。
最近はテレビも通常に戻りつつあり情報でも物資が届くようになり一頃よりも良くなっていると伝えられていますが現場を見るかぎりではそんな事は無いんじゃないかと?思ってしまいます。

今回は見て回るだけで何も出来ませんでしたが、もし直接的に何かやるのなら被災者のニーズも日に日に変わってくると思うので各地にボランティアの受付所があるらしいのでそこに行って登録し今求められている事をやるのが一番いいのではないかと感じました。

間接的では募金や節電、それと長期戦になるのは明白なので過度な自粛はせず地震前の生活を普通にして経済を回す事も復興に貢献できる事だと思いました。


私も時間を作ってできればボランティア活動が出来ればと思っています。
そして今は正直気持ちがついて来ませんが地震前のように釣りを再開して普通に生活し間接的に貢献出来ればと思っています。
いつの日かまたあの美しい三陸の海で釣りが出来る日を夢見て。故郷は負けない。







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